2016年2月27日土曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

「差別」言い出す人のウラ 
鮨屋の予約で差別を受けたと言い出した人がどうも妙な気がして記事を書いたんだけど
記事書いたことで批判する人までいたんだけど

女性国際戦犯法廷にも関わってるし

読んでた本にも出て来た
今話題の岸井成格氏も丁度出て来た




p136・137
ネット新聞より悪質

 TBSの『朝ズバッ!』も凄まじい。小泉首相が平服で靖国神社を参拝(2005年10月17日)したのを受けたこの番組で、解説の岸井成格・毎日新聞特別編集委員ののっけの言葉が、「中国、韓国がどう思うか」だった。しょせん派閥がどうのだけの政治記者で、国際感覚などゼロということか。それなら黙っていたほうがいい。

 この番組では翌日、自称中国人ジャーナリスト、莫邦富を呼んだ。莫は『朝日新聞』に寄稿し、今は同紙に連載も書いている。それだけでも胡散臭い人物だ。

 実際、彼の昔のコラムを読むと悪辣な中国人の典型だということがよく分かる。

  彼は、北九州で子供2人を含めた1家4人を皆殺しにして海に捨てたり、熊本で中国人留学生を親代わりになって面倒見てきた老夫婦を殺害したり、あるいは中 国から海賊版を持ち込んで日本で売りさばいたりと、中国人留学生の犯罪が激増している現状について、「日本側の受け入れ態勢が悪いからだ」と反省もなく日 本に責任をなすりつける。

 その昔、日本は魯迅や周恩来、蒋介石ら中国人を受け入れて学ぶ場を与えた。留学に来られない貧しい江沢民などのために上海や南京でも大学を開いてやった。

 アジア解放のために日中が手を携えようという思いからだったが、蒋介石も江沢民も結局はカネのため、権力のために日本を裏切った。本当は御免なさいというべきなのにまだ「日本が悪い」と言い募る。
(日本の侵略のせいって言う日本人がいるくらいだからねぇ→
  騙され続ける日本人 お先真っ暗

 莫邦富ははるかに小者だが、言い分は恥知らずの江沢民らと変わらない。そんな人物と知りながらTBSはスタジオに呼んだ。

 莫は案の定、自衛隊の海外派遣を引き合いに出し、「日本はインド洋に軍艦を送っているが、中国はどこにも軍を出していない」。日本は海外に野望を持つ軍国主義復帰を狙っているといいたい、とやる。
(もしかしてチャイニーズジョークなんじゃ・・)

 盗っ人猛々しい。中国はウイグルを侵し、チベットを武力で奪った。その少し前はベトナムを一方的に侵略した。最近は日本の領海に潜水艦を送り込んでもいる。

 そんなあくどい中国の行状には知らんふりを決め込んで日本を非難する莫に、臆病な岸井は「ごもっとも」と一言もない。

 むしろ、みのもんたが、「中国は(核兵器を含め)日本の何倍もの軍備を持っているのに何で日本が怖いのですかねえ」と突っ込んで莫邦富が応えに窮したのがおかしかった。

(´・ω・`)もしもし高山さん歯から衣がとれてますよ

とはいえ
岸井成格氏が「しょせん派閥がどうのだけの政治記者」といわれてしまうのもしょうがないというか

”TBSの顔”「岸井成格」とは何者か
月刊WILL 2016年1月号

(一部抜粋)

 新聞「記者」、それも論説委員長や主筆まで務めた毎日の“顔”にしては著書が少ない。単著は『大転換──瓦解へのシナリオ』(毎日新聞社)だけ。対談本を含めた共著が三冊。編著を入れても合計七冊しかない(国立国会図書館サイト検索)。
http://ironna.jp/article/2859?p=1


もちろん量より質なのは言うまでもなくて質の方の検証も沢山書かれているんだけども。 

旧満州出身の鳴霞さんの本から



p14~17
はじめに

 私は、中国の藩陽で生まれた。藩陽は「宝地」と言って、宝のような土地と言われるほどで、美しい山もあるし水も綺麗、食べ物も昔から豊富だ。国家主席の胡錦濤が取り寄せて食べるほどおいしい米もできる。

 藩陽は昔で言う満州国の奉天市である。いまは開発によってだいぶ少なくなったのだろうが、戦争の後でも日本人の家は沢山残っていた。かつて日本が建てた、日本にも無いような立派な建築も沢山あり、子供の頃はその近くでよく遊んだりもしていたものだ。

奉天郵便局
【wiki】奉天市 
(張作霖のお屋敷に比べたら見劣りするよね・・w)

 また私の叔母は看護婦で日本語をよくしゃべっていた。満州国時代に勤務していた病院には日本の医師が沢山いて、よく日本語で会話をしていたそうだ。日本人についての話は子どもの頃から祖父母にもよく聞いていたものだ。

  祖父は戦争中は関東軍に野菜を売りに行ったりしていたそうだが、日本兵は真面目で礼儀正しかったといつも言っていた。お金が少し足りない時など、また今度 でいいと言っても「いやすぐに払うから、ちょっと待ってくれ」と言ってお金を用意してきたという話だ。それに比べて蒋介石の国民党軍は乱暴で、自分たちの ために民間人や中国共産党員を殺したり酷かったという。同じ中国人でも八路軍(華北方面で活動した中国共産党軍の通称)はそれより礼儀正しかったとも聞い ている。いずれにしても、祖父は日本が大好きだった。

 そのようなこものあって、私は高校卒業後、農村に下放された三年後に父母の仕事の 軍企業に入り、会社育成の人材派遣で藩陽市内の藩陽市科技日本語学院に入学することにした。日本に来る直前には、中国航天部藩陽市軍工起業で情報課日本語 担当勤務だった。ここは地域では一番重要な軍事会社で、宇宙開発や戦闘機エンジンなども担当する国家直轄の軍企である。

 実は私は中国を出てアメリカに行くつもりだったのだが、縁があって日本に来ることになった。私の主人の母は満州に残留した日本人孤児なのである。私は写真でしか見たことがない。主人は日本に来た時に和歌山に遺骨を運んだが、本当に苦労して可哀相な人だったと聞いている。

 日本に来て思うのは、日本には満州のような良さがあるということだ。満州国の発展は当時の日本のおかげだった。今の日本は不景気と言うが、それでも豊かで世界中から人が来る。当時の満州国も同じような状態だったそうだ。祖父はよく、満州に大陸中の各省、とくに南方の貧窮した者からどんどん人が集まって来たと 言っていたものだ。ロシア人も、朝鮮人も、南方からも、多くの人が集まって来たそうだ。そして、ずいぶん平和だったとも聞いている。しかし、戦争が終わる 1945年頃には、ソ連軍が入って来て滅茶苦茶になった。祖父の働いていた工場も機械どころかカーテンまで一枚残らずソ連に持って行かれたそうだ。だか ら、私の父などはソ連が一番悪者だと言っているくらいだ。

 かつて、満州が発展したのは、日本が力を入れたからだ。日本人のおかげで満州は発展したと言ってよい。年配で満州国時代を知っている人は、いまでもあの時代は幸せだったと皆言うのだ。現在と比べても、やはり満州国の時代が良いという。

  今も日本は中国を援助しているが、あのような援助は百害あって一利なしである。北京空港は日本のODAでできたものだが、普通の中国人はそんなことは知ら ないし、ましてや感謝もしていない。新幹線の技術供与など感謝どころか自分たちが作ったと言い張っているくらいだ。今は、ODAが空母やミサイルの建造な どに使われている。中国の貧しい地方にODAが入ればいいと思うのだが、そのようなところにはほとんど使われないのが実態だ。日本はODAなどやめた方がいいのだ。中国の本当に困っている人民のためにはならず、また日本のためにもならない。

 満州国を作った当時の日本人は素晴らしかった。しかし、今の日本人は平和ボケだ。日本の資金で中国軍(民民解放軍)はどんどん増強されている。このままでは日本はいつか、自分のせいで中国に呑みこまれることになるだろう。満州にソ連軍がやって来た時には本当に悲惨な状況だったそうだ。それと同じことが日本に起こるかもしれない。
(ソ連軍がやって来た時→娘の首に刀を…「ごめんね、母さんもすぐに逝くからね」
 私の故郷の満州では満州語を話す人も少なくなった。いまの高齢の人がいなくなれば全滅だろう。新疆もチベットも弾圧され、文化は無くなり民族は滅びようとしている。日本はこの現実を認識しないといけない。ただ「日中友好」と言えば平和が来ると思っていたら大間違いだ。
(→少数民族「絶滅」を企む中国の漢化政策

日本一国が平和ボケで滅びるならまだしも
中共の歴史観をそのまま正しいとしてしまうと
同時に少数民族()弾圧は正しいとなってしまう
どうだ日本だって認めてるんだぞと
自己正当化に最大限利用されるわけだよ

嘘は嘘だって言わなきゃいけない
嘘の犠牲になってる人達はどうなってもいいの 

以前コメントで紹介してもらった稲垣武氏の本をまた読んでたんだけど
朝日新聞の変わらぬ(-@Д@)ウリは悪くないニダ体質 
「慰安婦強制連行」に疑問を持つと朝日報道テロの標的に 
旭丘中学事件

個人的に見逃せないことが書いてあったんで抜粋



p136~138

北朝鮮ベタ褒め派の学者

 72年4月の金日成誕生六十周年に訪朝した日朝社会科学者連帯委員会のメンバーは、74年9月に前出の『チュチェの国 朝鮮を訪ねて』を刊行したが、これは北朝鮮ベタ褒め派のアンソロジーともいうべきものであった。

 たとえば訪問団長だった安井郁法政大学教授は、北朝鮮の政治は、「抑圧的な権力政治ではなく、愛情の政治です」として、こう書いている。

「現在のチョソン民主主義人民共和国の歴史的条件のもとでは、人民が”個人崇拝”とも見えるほどの敬愛の念をいだいて偉大な首領のもとにかたく統一・団結することが必要だということです。その統一・団結が社会主義・共産主義をめざす困難な闘争の勝利を保証します。チョンリマ・チョソンと呼ばれるほどのすばらしい躍進の原動力はそこにある、とわたしは見ています」

 そして安いは、日本にはまだまだ北朝鮮に対する誤解と偏見が満ち満ちていると嘆き、「われわれは曇りのない眼でこの近くて遠い国の真のすがたを直視しなければなりません」と説く。

  さらに、「『個人崇拝』であるかないかというような議論は、わたしにとってはどうでもよいことなのです。わたしに興味のあるのは、キム・イルソン主席の唯 一的指導のもとにチョソンの社会主義革命と社会主義建設はいかに進行しているか、チョソンの社会科学はいかに発展しているか、それらはチョソン人民に幸せ をもたらすものであるかどうか、それらは人類史の前身に寄与するものであるかどうか、というような問題であります」と極言している。

 しかしこの文言は、「個人崇拝」を「独裁」と、「キム・イルソン主席」を「朴大統領」と、「社会主義革命・建設」を「維新革命・経済成長」と言い換えれば、そっくりそのまま朴正煕政権の弁護になってしまうのではないか。

 ところが、安いら進歩的文化人は、こと「南」に対しては原則的な自由・民主主義を振りかざして非難攻撃し、「北」に対しては結果がよければ手段は問わないとするのが常であった。

「曇りのない眼」どころか、「社会主義」という色眼鏡をかければ何でも薔薇色に見えるという典型だろう。その安井が78年に「主体思想国際研究所」を創立したのも当然だった。


【wiki】安井郁
安井 郁(やすい かおる、1907年4月25日 - 1980年3月2日)は日本の国際法学者。平和運動家である。法政大学名誉教授、国際法学会幹事長。

人物
国際法専攻。戦前期はモーゲンソーの影響を受ける。第二次世界大戦中には東京帝国大学法学部教授として、田畑茂二郎(京都帝大)とともに、「大東亜国際法」を提唱した。しかしこのことをもって1947年占領軍により戦争協力とみなされ、1948年に東大を公職追放となる。神奈川大学教授を経て法政大学教授に就任した。

1954年3月1日のビキニ水爆実験による第五福竜丸被爆事件を契機に原水爆禁止運動を組織化し、水爆禁止署名運動杉並協議会議長を務めた。同年8月8日、原水爆禁止署名運動全国協議会事務局長に就任。1955年8月6日、広島で第1回原水爆禁止世界大会を 開催した。9月19日に署名運動全国協議会と世界大会が統合して原水爆禁止日本協議会(原水協)が発足すると、その初代理事長に就任した。しかし、原水爆 禁止運動での政党間の対立が激しくなり、1963年に原水協から社会党系が離脱したときには原水協の役員を辞任した。原水爆禁止運動の表舞台に現れること はなくなったが、朝日新聞の投書欄に繰り返し投稿し、運動の統一を訴えた。
その後、1970年、朝鮮民主主義人民共和国のチュチェ思想を研究し、日朝社会科学者連帯委員会の議長に就任した[要出典]。晩年は金日成主義を「独創的思想」と絶賛している[要出典]。チュチェ思想国際研究所初代理事長を務める[要出典]。
妻の安井田鶴子も安井の活動を支え、女性たちの読書会「杉の子会」(東京都杉並区)の反核署名運動や大石武一、新村猛と共に「草の根平和の集い」(1985年-1991年)などで平和・人道主義の活動をした。娘はロシア文学者の安井侑子。

チュチェ思想研あたりは[要出典]になってるのね
一応ソースはあるってことで

チュチェ思想国際研究所といえばこの人ですね
エセ人権活動家 武者小路公秀

よど号グループの妻数人がチュチェ思想研メンバーだったのを知っていますか?
日本の中の北朝鮮 チュチェ思想研究会

平和運動家って何でいちいち北朝鮮と関わってるのかホント理解できない。
あと、大東亜共栄圏・大アジア主義=右翼 が戦後になると
アジア共同体=左翼 になるこのねじれ感がうまく自分の中で整理できないんだなぁ。。

チョンリマ【千里馬】
《〈朝鮮語〉》朝鮮の伝説で、翼をもち1日に千里をかけるという竜馬。朝鮮民主主義人民共和国において社会主義建設を促進するためのスローガンとされた。「―運動」
https://kotobank.jp/word/%E5%8D%83%E9%87%8C%E9%A6%AC-569633

. ,,,,,,,,,,,,,,,   ビビビビ
ミ,,,,,,,,★,,ミ  。))))))))   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<丶`∀´>/          (-@∀@)< 地上の楽園、ばく進する馬、国交正常化を急げ。
(  つ二/0          .(φ朝 )  \_________
http://l15.chip.jp/asahisinbun/

追記2016.2.27
p115
 朝日の入江徳郎特派員は 12月25日付で「『ばく進する馬』北朝鮮」との見出しの下、「北朝鮮の経済建設のテンポはものすごい」「鉄、電力、セメント、化学肥料や穀物の人口一人 当たりの生産高は日本をしのぐと北朝鮮政府はいっている」「深夜の町で酔っ払いなど一人もみることができない。真夜中雪の道を行くのは後退の労働者だ」と 絶賛している。労働後に軽く一杯をやる自由も北にないことに気づかなかったようだ。
 

朝日新聞は「韓国の研究によると遊郭で働いていた遊女とキーセンは区別されていた」
という苦しい言い訳をしているのだが
朝日新聞は「キーセン=売春婦」と知られるのを恐れている
 

丁度宮脇淳子さんの本を読んでいたら出て来たのでご紹介



平壌妓生学校
平壌にあった妓生学校 【wiki】妓生

p204~206
  妓生というのは、宮中の宴会や催しで歌舞音曲を披露する芸妓で、同時に宴会で男性の側にはべるホステスでもあります。妓生たちの身分は官有の奴婢である官 婢で、一牌、二牌、三牌の三つのランクに分けられていました。ファン・ジニのように名妓と呼ばれる妓生はほとんど一牌で、奴婢の身分に変わりはありません が、両班たちと会話できるだけの知性と教養が必要とされました。当時の朝鮮半島では、上流階級を除けば字が読める女性はほとんど皆無だったので、かなりの インテリであったことは確かでしょう。

 しかしながら、公式には芸を披露する官婢であった彼女たちも、実際には両班を相手にする高級娼婦だったのです。また、宗主国であるシナから使節が来ればその宴席にはべり、基本的に性接待を命じられました。妓生は「人間の言葉を解する美しい花」という意味で”解語花”とも呼ばれたそうで、聞こえはいいですが、要は儒教社会では人間扱いされていなかったということでもあります。古田博司先生の言葉を借りれば、「李朝の宮廷の官妓(一般の妓生とは違います)は、ちょうど現代の北朝鮮の”喜び組”のようなもの」ということです。これは私が直接聞いた話で、今回、問い合わせましたら、さすがにどこにも書いたことはないと言われました。

解語花:「解語花」は、『大漢和辞典』によれば、唐の玄宗皇帝が楊貴妃を称した語で、美人を指す言葉だったから、本来は悪い意味はなかったとみられる)

 妓生は建前上はあくまでも芸妓であって、単に売春行為を行う女性はキーセンとは呼ばれませんでした。ところが、李朝末期になると十把ひとからげで妓生と呼ばれるようになり、さらに開国後は日本の遊郭制度やロシア人の外娼が入ってきて、ますます区別がなくなっていきました。それらを管轄するために、日韓併合後は妓生は公娼制度に組み込まれました。

公娼制度:公権力が売春業者を管理・監督する形態。日本では遊郭がこれにあたる。)

 戦後、日本人がいなくなると売春産業は犯罪組織が仕切るようになり、駐留米軍向けの風俗店で荒稼ぎしていましたが、朴正煕大統領はそれを取り締まり、新たに国営の娼館制度をつくりました。これが国営キーセンと 呼ばれる制度で、外貨獲得のために国がバックアップして、ベトナム戦争時などには海外にも派遣されたそうです。日本が復興して海外旅行に行けるようになる と、日本からの観光客に対しても国営キーセンが使われ、年配の人は聞き覚えがあると思いますが、韓国旅行は別名”キーセン旅行”と呼ばれ、一種の売春ツ アーのようなイメージがありました。2004年に、韓国議会は売春を違法行為とする法改正を行い、これによって妓生という歴史上の制度は事実上なくなりま した。以後、売春は非合法の下で行われるようになります。

p218
 妓生についても、李氏朝鮮時代は平気で初潮前の少女が妓生にされていました。日韓併合後になってようやく、日本が「そんなひどいことはやめろ」と規制し て、朝鮮総督府が管理して、日本の花柳界のように、妓生にも検番所ができ、秩序を持たせたわけです。おそらく朴正煕大統領も、その時代に上手くいっていた ことを思い出して、国営キーセンという制度を始めたのでしょう。ところが、いまの韓国人は李氏朝鮮時代に行われていた悪習を、全部日本がやったことにすり 替えるのです。世界で評価される日本文化は剽窃しようとしますが、反対に後ろ暗い過去は全部日本の仕業として押し付ける。手柄は自分、失敗は他人に押し付 ける。会社でこういう上司が一番嫌われるというのも、やはり相場が決まっています。

日本が「そんなひどいことはやめろ」と規制 1916年に公布された法令で、最低年齢を17歳とした。川村湊『妓生「もの言う花」の文化誌』参照)


妓生学習院東洋文化
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/rioc/vm/c05_koshashin/c0502_huzoku_list_9.html
画像はこのへんに

ええと、結論としては妓生と売春婦は区別されていませんでした
今更みんな知ってるようなことを堂々と違うと主張する朝日新聞ってステキ。

参考
古田博司先生
非韓三原則 
非韓三原則(古田博司教授)


朴正煕大統領の基地村浄化計画
米軍慰安婦「洋公主」と基地村

『革命をプロデュースした日本人』という本への違和感から突然中国近現代史を調べ出すワタクシ
騙され続ける日本人 お先真っ暗

それで今読んでるのが
岩田温氏の本の中に出て来たこれ
中国のチベット侵略

中国はいかにチベットを侵略したか
マイケル・ダナム
講談社インターナショナル
2006-02-17


中国がひどいことをしたあれこれ
は既によく知られているし分かりやすいんだけども

今更知って驚いたのがCIAが介入してたことだ

自分は四面楚歌なチベットを救う唯一の希望の光のように思って読んだのだが
(まぁそういう本なんだろうね)
後からググってみると、ダライ・ラマはCIAの傀儡とか否定的な文脈で捉えているブログが目についた

確かにアメリカの介入が必ずしも良い結果をもたらすわけでもないし
正義の米 vs 悪の中共 と単純化しすぎるのも問題だろう

だけど
あの時のチベットはじゃぁどうすりゃ良かったの
黙って滅びたら良かったの?

結局これは日本と重なる
じゃぁあの時日本は黙って滅びたら良かったの?

p78
 非常に有能かつ聡明なシャカパなる人物が、インドのカリンポンからアピールを国連に郵送する任務を託された。

  1950年11月13日、文書は国連に届き、事務総長室は、チベットが国際社会の一員として承認されているのかどうかも分からずその扱いに当惑した。議題 に上程するかどうかを決めるのに不可欠とされる国連加盟国の指示がないアピールだったことがまず一つ、しかもチベット本国からでなくインドから発送されて いたため、それが本当かどうかも確認できなかったことがもう一つあった。しかも差出人は非政府組織からである。インドかイギリスなら、その気になりさえす ればこの文書の出所をはっきりさせることができたであろう。チベットからの公式メッセージはすべてカリンポンからなのを彼らはつとに知っていたのだ。チベットには国際通信手段がなかったのである。しかし、中国と波風を立てまいとして、インドもイギリスもこのチベットの生死がかかったメッセージを無視してしまった。

p79
  この成り行きは、中共にとっては諸外国の反対に遭わずにどこまでチベットに侵入できるかを見定める一つの目安となった。アボ・ジグメとチャムドを掌中にし てからは、ラサ占領のため西進をつづけるのに軍事的抵抗はまったくなくなっていた。ただ冬が近づいており、チベットの高度と積雪を考えれば兵站上それ以上 群を進めるのは無理であった。それに四万の軍隊をさらに前進させたくない理由が他にもあった。外見上、チベット政府を交渉の場につかせたかったのである。中共の軍事的占領がチベットの”平和的解放”だと国際メディアには思わせておきたかったのだ。案の定、メディアはチベットのことで騒ぎ立てることなく宣伝工作は順調に進んだ。

 国連は再度チベットからアピールを受け取ったが、依然としてその扱いに戸惑っていた。

 ダライ・ラマは国際政治を理解しようとしたが、理屈でどうなるものではなかった。チベットのような無力な国を守ろうとしない国連なんか何のためにあるのだ?若い君主は国連の奇妙な機構に幻滅を感じた。

「正 義の支えとして国連を信頼していたのに、我々の問題がイギリスによって棚上げにされたと聞いた時には驚いた。インド代表の態度にも同様に落胆した。インド 代表はこういった。”平和的解決がなされるものと確信している。そしてチベットの独立は守られよう。これを確かとする最良の方策は国連総会でチベット問題 を議論しないことだ”これには、誰も我々を武力で助けてはくれないということを知った前回以上の無力感を感じた。今や、友人たちは我々の正義への訴えを代 弁しようとさえしてくれないのだ。中共軍の大群の中に置き去りにされたように感じた」(『チベットわが祖国ーダライ・ラマ自叙伝』

 
強制労働所、死刑執行隊、拷問、家族皆殺し、ラマ僧の虐殺・・
こうした中抗中ゲリラがCIAの支援で組織される
【wiki】チュシ・ガンドゥク 

その後

CIA ダライ・ラマ側に対中闘争の資金と武器の援助していた

  中国人民解放軍が1949年にチベットに侵攻し、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を事実上の軟禁状態にし、監視下においていた際、米中央情報 局(CIA)がチベット支援のため、ダライ・ラマ側に年間18万ドル(当時のレートで約6480万円)と軽火器を提供するとともに、チベット兵に軍事訓練 などの支援を行なっていたことが分かった。米ニューヨークを拠点とする中国専門情報Webサイト「多維新聞網」が報じた。

 米政府が1959年3月のダライ・ラマのインド亡命後、資金援助などを行なっていたことは知られているが、それ以前にもCIAが資金とともに軽火器などを提供していたとの事実が明らかになるのは初めてだ。

 それによると、ダライ・ラマの密使が1951年、ニューデリーの米国大使館とカルカッタ(現在のコルカタ)の米国領事館を訪れ、当時独立国だったチベットが中国共産党に対抗するために、ダライ・ラマへの支援提供や武器の援助を要請した。

 これに対して、東西冷戦下で、共産主義のアジア各地への波及を恐れていた米政府はダライ・ラマへの資金援助などを了承するとともに、機関銃などの軽火器を提供することを決めた。さらに、チベット国内のほか、米国の米軍基地でチベット兵に軍事訓練を行なうことも約束した。

 これらの交渉はダライ・ラマの2番目の兄、ギャロ・トンドゥプ氏が担当していたが、ダライ・ラマにとって交渉結果は事後承諾の形で報告されており、いまでも平和主義者で、非暴力主義で知られるダライ・ラマが当時、軍事闘争路線を承認したというわけではなさそうだ。

 CIAがチベット軍を援助し、中国人民解放軍相手のゲリラ戦を支援する作戦は「セイント・サーカス(St. Circus)」とのコードネームで呼ばれ、チベット内の2か所の基地で3000人のチベット兵を武装させて軍事訓練を実施し、活動資金も提供したという。

  1959年にダライ・ラマがインド亡命した後も、軍事的支援は続けられ、訓練は中国国境に近いネパール北西部の拠点を中心に行われた。また、CIAはゲリ ラ戦を行なうチベット人兵士259人を米コロラド州の基地に連れて行って軍事訓練を実施したという。訓練のプログラムは殺人、射撃、誘拐、爆撃、爆弾製造 などで、訓練を受けたチベット兵は神出鬼没に中国領内に現れ、人民解放軍部隊を相手にかなりのダメージを与えたとされる。

 ところが、これらの資金提供や軍事援助は1969年に突然中止となる。当時のニクソン政権の大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャー氏が対中関係改善を模索していた時期と符合しており、ニクソン大統領の決断だったとみられる。
NEWSポストセブン2012.7.15
http://www.news-postseven.com/archives/20120715_129207.html


この本にはこんなことが書かれている
p250
 ジョン・ケネス・ガルブレイス。 新任の駐インドアメリカ大使で、ケネディの最も信頼する顧問の一人であり、チベット問題に公然と反対する人物であった。数々の肩書を持ち、明らかに無視で きない相手であった。即ちハーバード大学教授にして、経済学者、作家、テレビコメンテーター、雑誌「フォーチュン」編集委員、そしてケネディ一族と親交が ある、といった具合だ。さらに重要なのは、アイゼンハウアー時代に培ってきたパキスタンとの友好関係を犠牲にしてでも、インドとより友好的な関係を結ぶの がアメリカのアジア政策に欠くことのできない必須条件だとするケネディ自身の意向を彼が反映していたという点である。ガルブレイスのチベット計画への反対は、チベットに対する個人的嫌悪感にまで達していた。曰く「チベット人は不愉快で野蛮であり、恐ろしく非衛生的人種だ」とまで決めつけていた。

【wiki】ジョン・ケネス・ガルブレイス

検索しようとしたらグーグル先生が予測ワードに挙げてきたんで
こんな著作があると知る

人間主義の大世紀を―わが人生を飾れ
J.K.ガルブレイス
潮出版社
2005-09-01


( 一一)・・・・

参考
【wiki】CIAチベット計画

『When Heaven Shed Blood』
MELINDA LIU

(部分抜粋)

Then the airdrops hit a snag. When a U.S. U-2 spy plane was shot down over the Soviet Union in May 1960, Eisenhower halted intrusions into communist airspace, including Tibet. Some drops continued under the Kennedy administration, but the Tibetans' days of riding the "sky ships" were numbered. Washington's new ambassador to New Delhi, economist John Kenneth Galbraith, considered the Khampas "deeply unhygienic tribesmen" and the aerial transport and support efforts "a particularly insane enterprise," as he told Washington.
NEWSWEEK1999.4.18
http://www.newsweek.com/when-heaven-shed-blood-164864 

北朝鮮に不正輸出の疑いで社長逮捕、総連傘下を家宅捜索 シンガポール経由で日用品

日用品密輸総連


 政府が科している経済制裁の一環で、輸出が全面的に禁止されている北朝鮮に日本国内の日用品を不正輸出していたとして、京都府警と神奈川、島根、山口県警の合同捜査本部は18日、外為法違反(無承認輸出)の疑いで、韓国籍で貿易会社「聖亮商事」(東京都台東区)社長、金賢哲容疑者(48)=東京都足立区=を逮捕した。合同捜査本部は同日、関係先として同社のほか、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)傘下の経済団体「在日朝鮮合営経済交流協会」も家宅捜索した。

 合同捜査本部は昨年5月、朝鮮総連トップ、許(ホ)宗(ジョン)萬(マン)議長の次男を逮捕し、このとき関係先として聖亮商事も家宅捜索。同社の事務所から取引文書などを押収し、不正輸出の実態について裏付け捜査を進めていた。
 逮捕容疑は、平成26年1月2日、制裁で輸出が禁止されている段ボール187箱分の日用品をシンガポール経由で北朝鮮に輸出したとしている。
 北朝鮮国内の富裕層向けに、日本で流通する食器や食料品、衣類などを輸出していたとみられる。この輸出で約640万円の収益を得ていたという。
 日本政府は北朝鮮の核実験などを理由に独自の経済制裁を科し、21年6月には輸出を全面禁止とした。昨年3月、拉致被害者の調査の報告がないことなどを受けて、制裁を2年延長した。
合同捜査本部は、21年から26年までの約6年間に10数回にわたって、不正な輸出を行っていた形跡を確認しており、常態的に不正な輸出を続けていたとみて、詳しい実態解明を進める。
産経ニュース2016.2.18
http://www.sankei.com/west/news/160218/wst1602180049-n1.html
(あらためて韓国系だからって繋がりがないってわけじゃないのね~)


余談
有田芳生朝鮮学校総連一体は妄言
 https://twitter.com/aritayoshifu/status/700085879889526784

「朝鮮学校は、朝鮮総連=在日本朝鮮人総連合会の影響を受けて一体化している」
これが妄言とおっしゃるわけですが

東京都の朝鮮学校報告書によると
 東京都朝鮮学校調査
ww.seikatubunka.metro.tokyo.jp/shigaku/chosen/gaiyou.pdf
(調査報告書 http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/shigaku/chosen/honbun.pdf)

「朝鮮学校は朝鮮総連と密接な関係にあり、教育内容や学校運営について、強い影響を受ける状況にある」
と書かれておりますね

(´・ω・`)ちょっと~これ知ってた?
水間政憲氏の動画でようやく知ったんだけども


【ニコニコ動画】【無料公開】歴史問題の元凶 教科書採択と東京書籍 やまと新聞 水間政憲「国益最前線レポート」#50前編《2/14公開》 

教育委員会、教員に対し教科書会社が接待していたという問題
神奈川県の歴史教科書は東京書籍が90%の占有率
南京大虐殺があった等一番ひどいこと書いてるのが東京書籍
(´・ω・`)だそうですよ

発端は多分これ
ここから全国問題に発展したみたい


【youtube】三省堂が現金渡した21人 教科書採択に関与 NHKニュース 

教科書採択三省堂教科書採択三省堂2
教科書採択三省堂3


三省堂の検定中教科書謝礼問題で長野県教育長「処分の行為なし」

 大手出版社の三省堂(東京都)が昨年8月に長野を含む11府県の公立小中学校長らを集め、検定中だった英語の教科書を見せて謝礼を支払っていた問題で、県教育委員会の伊藤学司教育長は5日、「(本県から出席した)校長自身に問題はなく、懲戒処分に該当する行為はなかった」との見解を示した。

 伊藤教育長は同日の県教委定例会後の記者会見で「検定中の教科書を見た本人を責めるのは酷だ。見せた三省堂側の問題」と指摘。謝礼の受け取りについても「本人は教育実践発表への対価だと思っており、何の問題もない」とした。
  伊藤教育長によると、校長は三省堂が都内のホテルで開いた会議に出席した際、5万円の謝礼を受け取ったが、直後に宿泊代や懇親会費を実費分として2万5千 円を返還した。問題発覚後に残りの2万5千円を返し、さらに2万5千円を上乗せして計7万5千円を同社に支払ったという。
産経ニュース2015.11.6
http://www.sankei.com/region/news/151106/rgn1511060057-n1.html 

【教科書謝礼問題】
業界最大手の東京書籍も教員に謝礼 文科省、虚偽報告には指定取り消しも 

 教科書を発行する「三省堂」などが検定中の教科書を教員らに見せて謝礼を渡していた問題で、業界最大手「東京書籍」(東京)が西日本の教員約30人に検定中の教科書などを見せ、謝礼として現金1万円を渡していたことが8日、文部科学省への取材で分かった。

 文科省によると、東京書籍は平成22年9月に名古屋市内のホテルで、「拡大編集会議」と称して教員を集め、検定中だった中学英語の教科書を見せて意見を聴いた。謝礼として一人当たり現金1万円を渡したほか、遠方から来た教員の交通費や宿泊費も負担していた。
 8日午前に同社の営業担当者が文科省を訪れ、不正の事実を報告。同社担当者は「採択を勧誘する目的だったのではなく意見を聴いただけだったが、疑わしい行為をやったのは確かです」と謝罪した。
文科省の担当者は「業界最大手も同様のことをやっていたのは遺憾だ」としている。同社の来年度から使用される中学英語教科書のシェアは33.8%でトップ。

 一方、教科書会社による教員への謝礼問題が相次いでいることを受け、義家弘介文部科学副大臣は8日、教科書会社でつくる教科書協会(東京)が都内で開いた臨時会合で、「報告漏れなどが発覚したような場合は、指定の取り消しも含めて必要な措置を講ずることも辞さない。徹底的な調査を行っていただきたい」と適正な報告を促した。

 これを受け、同協会会長の佐々木秀樹日本文教出版社長は「編集段階から子供たちの手に渡る供給までの過程をつぶさに見直し、全社、詳細な報告書を提出させていただく」と応じた。
文科省は昨年12月、三省堂以外の教科書会社にも自己点検を要請し、今月20日までに文書で報告するよう求めている。
産経ニュース2016.1.8
http://www.sankei.com/affairs/news/160108/afr1601080017-n1.html


【教科書謝礼問題】
《視点》悪弊断ち切れるか 教員側の意識改革も急務

 平成21年度以降の小中学校用教科書検定で、多くの教科書会社が教員らに検定中の教科書を見せ、延べ約4000人に謝礼を渡していた。文部科学省幹部も「想定以上の規模」と驚くように、その実情はルール違反の常態化というほかない。

 問題の根は深い。少子化に伴い、教科書市場はピーク時の昭和33年に比べ約47%も減少。そうした中、原則4年に1度の教科書採択でシェア(占有率)を落としたくない各社の営業は過熱傾向にあり、水面下で採択に影響力を持つ有力教員らに接近し、「意見聴取」の大義名分で囲い込みを図る流れは強まっている。

 実際、ある教科書会社幹部は「日ごろからアドバイスをもらっている先生方に検定中の教科書を見せるのはお礼の範囲であり、謝礼も当然」と漏らし、教員をつなぎ止めるためにはルール違反もやむを得ないとの考えを示唆する。別会社の幹部は「教科書内容はどこも大差はない。他社と差がつくのは営業力ぐらい」と言い切る。「不適切行為はなかった」と文科省に報告した10社の対応を疑問視する向きすらある。
 一方で、教員側の規範意識の希薄さも懸念される。地元の教育委員会に届け出をしないまま、謝礼を受け取ったケースは少なくないとみられるからだ。既に三省堂の問題では関与した教員らが処分されている。
教科書が無償配布される義務教育は公教育の根幹だ。今回の事態はその制度を揺るがす背信行為にほかならない。教科書業界と教育現場には教科書を手にする児童・生徒に恥じない行為が求められている。(花房壮)
産経ニュース2016.1.20
http://www.sankei.com/life/news/160122/lif1601220029-n1.html

連日甘利疑惑ガー金銭授受ガーと騒いでたのに
こんなとんでもないことが起こってた
教科書は内容で採択されてるのかと思ったら何と
「営業」で採択されてた!?

ご存じの方いると思うんですが、教科書展示会といって一定期間全社教科書が展示されて市民が意見提出出来るというのがあります
(例・東京都
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/shidou/27tenjikai.html)
ところがこういうニュースを聞いてしまうと
意見聞きましたっていうアリバイ作るだけの儀式だったんじゃないかって疑惑すら出てくるわけで

水間政憲氏はポストカードを学校OBとして送付することを提案されていますが
(ポストカードについて→http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/)
そうでなくても気になる方は「うちの学校は(自治体は)大丈夫ですか!?」と問い合わせ等するといいと思います

「だって教科書に書いてあるよ!?」
これがどれだけ重大なことになるか・・ 

【歴史戦 第11部 もうひとつの慰安婦問題(5)】
「教訓」選別する馬総統

 台北市内で8月14日に「AMAミュージアム」と呼ばれる新施設の看板掛けが行われる。「AMA」とは中国語の「阿媽(アマ)(おばあちゃん)」のアルファベット表記。台湾で初となる慰安婦記念館だ。韓国で元慰安婦を「ハルモニ」と呼ぶのに似ている。

 韓国や中国などの元慰安婦支援団体はこの日を「慰安婦メモリアルデー」としている。韓国人の金学順(キム・ハクスン)が慰安婦だったと名乗り出た日を記念したものだ。

 元台湾人慰安婦を支援してきた台北市の女性人権団体「婦女救援基金会」(婦援会)によると、正式オープンは世界人権デーの12月10日を予定している。

 婦援会が1994年に行った調査で36人いた元慰安婦は4人になった。婦援会執行長、康淑華は看板掛けを先行することで「おばあちゃんたちを安心させたい」と話す。

 記念館は商業施設の一部を改装。約360平方メートルのうち半分を慰安婦関連の展示場とし、残りは家庭内暴力(DV)被害者女性の作業場などにする。

  開館日をめぐってはちょっとした騒動があった。6月3日夜、総統、馬英九は台北市内で開かれた「抗日戦争勝利70周年」の学術討論会で「慰安婦記念館を 10月25日の台湾光復節に開館する」と唐突に発表した。慌てたのは事務方だ。内政部(内務省に相当)などの当局者は「聞いていない」と繰り返した。

 結局、馬が開設時期を誤って発表していたことが判明し、総統府は4日夜、発表文を差し替え、馬が「12月に開館する」と発言していたことにした。

 馬が日付を間違えた理由は分からない。だが、10月25日は45年、台北で台湾方面の旧日本軍の降伏式典が行われた日だ。馬が記念館の開館をこの日に重ねることで、慰安婦と「抗日戦争」を結びつけようとしたとの推測は成り立つ。

  ■ ■ ■ 

  婦援会と馬との関係は、馬が法務部長(法相)に就任した93年に遡(さかのぼ)る。死刑制度を批判するなど「人権派」として知られた馬は、そのころ台湾で も活動が始まった慰安婦問題に高い関心を示した。総統就任後も、元慰安婦を訪ねたり総統府の食事会に招いたりした。康によると馬は「一貫して阿媽の最大の 支持者だった」という。

 今年5月20日の就任7周年の記念演説では貴賓席に元慰安婦の陳蓮花を招待。演説の冒頭、「蓮花おばあちゃん」 と声をかけた。任期最後の記念演説でのパフォーマンスに、日本側関係者は「日台関係が過去最良だというなら、演説の冒頭に慰安婦はないだろう」と不快感を 隠さない。

 12月の開幕式典には、日本だけでなく韓国、中国の関係者も招待するが、康は「過去から何を学ぶかを大切にする施設で、抗日の意図はない。展示を見れば私たちの気持ちが分かるはずだ」と強調する。

 もっとも婦援会は日本政府に慰安婦問題での謝罪を求めている。昨年の8月14日には台北市内の日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所前で抗議活動を行った。首相、安倍晋三の退陣を求めるプラカードもあり「過去」を振り返るだけの団体ではない。

 活動には中国での慰安婦問題の研究者を自称する中国人男性も参加していたが、最後まで報道陣に身元を明かさなかった。

    ■ ■ ■ 

 台湾独立派の研究者でつくる台湾教授協会秘書長の許文堂は、馬が慰安婦問題を強調するのは、天安門事件への批判など、人権派が訴えるべき主張を「中国に配慮して言えないからだ」と見る。その上で、台湾で戦後、長く続いた慰安所を挙げ「もし慰安婦が問題だというなら『軍中楽園』にも向き合うべきで、(日本だけを)選択的に取り上げるべきではない」と話す。

 「軍中楽園」とは、49年の中台分断以降、台湾各地に設けられた中国国民党軍向けの「慰安所」の通称で、多くの台湾人女性が働いた。昨年には同名の映画も上映されたが、女性の人権問題としての認識は広まっていない。

 馬は先の戦争に触れるたびに「歴史の過ちは許せても歴史の教訓は忘れてはならない」と繰り返す。だが、その「歴史」を自ら選別しているとの自覚はないようだ。(敬称略)
産経ニュース2015.7.8
http://www.sankei.com/premium/news/150708/prm1507080006-n1.html


【歴史戦】台湾の慰安婦記念館「おばあちゃんの家」概要を公表、9月開館へ 商店跡を改修、費用の一部確保
台湾慰安婦記念館2

 【台北=田中靖人】元台湾人慰安婦を支援している台北市の女性人権団体「婦女救援基金会」は17日、台湾初となる慰安婦記念館の予定地を確保したとして、施設の概要を公表した。台北市内の歴史的建築物の一部を改修し、9月に「おばあちゃんの家 平和・女性人権館」として正式に開館する見通し。

  予定地は、2階建ての建物2棟が中庭でつながった築80年以上の商店跡で、約500平方メートル。韓国や日本の関連施設も参考にし、約半分のスペースで元 慰安婦の写真や経歴などの文献、元慰安婦が参加した人権運動などの資料を展示。残る部分は、性暴力の被害に関する教育の場などに充てる。入場は無料で、英 語名は「AMAミュージアム」とする。

 改修費など初年度の費用約1200万台湾元(約4千万円)のうち、約200万台湾元は確保しており、残りも募金でまかなう。

 同基金会の康淑華執行長は「慰安婦という女性の人権問題を若い世代に伝えると同時に、戦時の性暴力問題などの省察につなげたい」としている。

 予定地は、清朝以降の歴史建築が集まる問屋街「迪化街」。一部は飲食店などに改修され、日本からの観光客も多い。
産経ニュース2016.2.17
http://www.sankei.com/world/news/160217/wor1602170041-n1.html

多分ここに繋がるであろう人に心当たりがあるんだけど・・
あんまりこの基金自体の情報がないみたいな

何か出てきたら追っていきます


参考
最近中国関連の記事書いてきてつくづく思うのは
彼らは「1対1で正々堂々と」 ぶつかると負けるので
必ず他国を巻き込んで包囲網を作るという手法を使うんですね

変容する「抗日」
台湾人冷ややか中国「抗日共闘の誘い」
 

河添恵子さんが言ってた連戦氏と台北市長選に出て落選したその息子・連勝文氏について
抗日のための第三次国共合作!? 

ググったら面白い記事が出てきた

台湾選挙を揺るがした「日本皇民論争」とは - 野嶋 剛

台北市長柯文哲
http://www.sankei.com/world/photos/150203/wor1502030055-p1.html

  台湾の統一地方選が11月29日投開票され、与党の国民党が歴史的とも言える大敗を喫し、馬英九政権は極めて大きなダメージを受けた。12月2日に馬総統 は敗戦の責を負って党主席を退いている。その概要についてはすでに分析記事を書いたが(「台湾『国民党歴史的惨敗』の衝撃:『筆頭戦犯は馬総統』」 2014年12月1日)、ここでは今回の選挙で「日本」が隠れた争点となった現象について考えてみたい。
(→http://www.fsight.jp/30947)
台北市長「当選の理由」
 台北市長に当選した無所属候補の柯文哲氏は「異変」の立役者となった人物だ。その柯文哲氏が当選後、メディアに「当選の理由」を問われたとき、「日本皇民論は確かに(国民党の敗北にとって)大きかった。あれで本土の藍(国民党陣営)の票がそっくり逃げてしまった」と語っていたことに驚いた。
 選挙期間中に起きた「日本皇民」論争は、日本のメディアではほとんど報じられていないので、まず簡単に説明しておきたい。
 台北市は本来、国民党が強い地盤である。今回、国民党の長老・連戦氏の息子で、企業経営の経験がある連勝文氏が国民党から立候補した。野党の民進党には勝てそうな候補が見当たらず、外科医で政治素人の無所属候補・柯文哲氏に相乗りする形を取るしかなく、誰もが連勝文氏の楽勝を予想した。
 ところが選挙戦は思いも寄らぬ方向に展開した。柯文哲氏が予想外に愛されるキャラだったことと、連勝文氏が予想外に憎まれるキャラだったことなどで大接戦となり、やがて連勝文氏陣営のまとまりの悪さや失言なども重なって、投票1カ月前には柯文哲氏が各種世論調査で10%以上のリードを稼ぎ出した。その事態に慌てた国民党が繰り出したのが、柯文哲氏に対する「日本皇民」批判だったのである。
  元行政院長で、台湾軍長老である郝柏村氏は、テレビに出演して「柯文哲の祖父は李登輝と同じで皇民の子孫である。皇民は日本統治時代、特権階級だった。 (柯文哲が)日本統治時代を懐かしむのは自然な感情だろう」と述べ、柯文哲氏の「出自」を持ち出して市長になる資質を問題視した。
 もっと激烈だったのは、連勝文氏の父親・連戦氏だ。連家は外省人ではないが、戦前に台湾から中国に渡って国民党と協力していた「半山」と呼ばれる一族だっ た。日本統治時代に柯文哲の祖父が「青山」姓だったので柯文哲氏のことを「青山文哲」と呼び、「青山文哲が市長になるなんて耐えられない」「柯文哲は日本 の役人になった家庭の出身で、当時の日本植民政府に協力したことは疑いない。こんなことをしていた人間を我々は何と呼べばいいだろうか」などと語り、「漢奸(売国奴)」ではないかと示唆した。
国民党内からもあきれる声が
 戦前の台湾における皇民化運動は日中戦争の開始と共に本格化し、それまでは台湾土着の文化との共存を求めてきた統治方針を転換し、天皇への忠誠、日本姓の使用、神社神道の定着などが図られた。
 しかし、柯文哲氏の祖父は確かに日本の姓を持っていたが、地方教師に過ぎず、それだけで「特権階級」と言い切るのは事実に即していない。
  この2人の日本皇民批判に、柯文哲氏の両親は「当時の台湾は日本に統治されていた。台湾人にどんな選択肢があるのか」と反論。柯文哲氏自身にも「台湾人は 異なる過去を持っている。しかし、いまは一緒にいる。日本人であったことは祖父の過ちではない」と、まっとうな理屈で言い返された。
 結局、世論は柯文哲氏の側につき、国民党内からも2人の「差別」発言にあきれる声が上がった。連戦氏と郝柏村氏は釈明や謝罪に追い込まれ、連勝文氏も「父はいささか感情的になってしまった」と火消しに追われた。
2つの歴史観
 この問題は、台湾において、2つの異なる歴史観が存在していることと関係している。
 台湾のかつての「支配階級」である国民党の外省人の老幹部たちは一般的に、抗日戦争を戦って台湾を「解放」したという革命史観を持つ。一方、もともと台湾にいた本省人は、総じて、清朝も日本も国民党も「外来政権」に過ぎないという相対化された歴史観を持っていると言える。
 ただ、いずれの立場でも、戦後の台湾では「省籍矛盾」(外省・本省間の対立)を引き起こすような言動はタブー扱いされてきた。
  連戦氏らの発言は、外省人やその子孫を中心とする人々が今回、あまり投票に行かないと見られていたため、その票の掘り起こしを狙ってのものだったと思われ る。しかし、こうした「日本皇民」批判は外省人二世、三世の間にも共感を得ないどころか時代遅れの印象を広げ、結局、国民党自身の得票にも負の影響を与え た可能性がある。
 外省人は国民党の中枢を握ってはいたが人口的には少数派であり、多数派である本省人の国民党支持層との協力関係によって台湾をコントロールしていた。いまも国民党内の権力構図は、馬英九総統のような外省系エリートと、王金平立法院長のような本土派実力者との間でバランスを取っている。
(震災後に観光訪問団で来てくれた人ですね→台湾総統選を受け中国が「観光客激減」の報復措置
 本土派の人々は日本統治時代には日本教育を受け、日本へのいろいろな感情や思い出を持っている人々である。「皇民の子孫だから市長にはふさわしくない」と言い切ってしまうのは、そうした人々をすべてひとまとめに批判することに等しく、失望と反発を招いたようである。
日台の微妙な関係
 今回の問題がどこまで実際の投票行動に影響を与えたかはより科学的な論証を待たねばならないが、大事な選挙戦終盤に数日間、台湾内の話題を独占し、国民党の挽回に向けた勢いを著しく削いだことは確かだろう。
  台湾政治において、日本というファクターは歴史と絡んでしばしば「争点」のになる。以前は、総統候補の馬英九氏に「反日」のレッテルが貼られそうになり、 馬氏は「自分は知日派だ」とアピールすることに懸命だった。今回の日本皇民論争は、図らずも、台湾政治と日本との微妙な関係を改めて強く印象づけるものに なった。
(野嶋 剛)
新潮社フォーサイト2014.12.4
http://blogos.com/article/100493/

韓国だと親日派=売国奴=財産まで取り上げられる
しかも親日派と非難されることまで日本のせいニダと言う→趙甲済(チョガブジェ)氏の本を読んでみた
それとは違う台湾の反応が興味深い


日本じゃありえない!? 台湾の選挙活動がすごいことに…

(何書いてあるのかよく分かんないけど不人気でこんな目にあったらしい)
連戦息子連勝文
http://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/1155161
http://matome.naver.jp/odai/2141602306330621401
(そもそもこういうバスは嫌だなぁ・・・日本でいえば例えば舛添バスとか走るんでしょ?・・おええええ)


野嶋剛氏って初めて知ったんだけども

終わらぬ冷戦、終わらぬ蒋介石

(一部抜粋)

筆者は、蒋介石と旧日本軍人の関係に焦点を当てた『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)という本を2014年に日本で上梓した。この本は、「白団」と呼ばれた約80人の旧日本陸軍の参謀たちを中心とした軍事顧問団が戦後、非合法の形で台湾に渡り、蒋介石の大陸反攻計画の立案、国軍再建のための軍事教育、日本の戦時を参考にした国民総動員体制の確立などに参画し、1969年までの20年にわたって活動した歴史をノンフィクションとして掘り下げたものだ。
nippon.com2016.2.16
http://www.nippon.com/ja/column/g00343/?pnum=1

(´・ω・`)何それそんなん初耳
すげぇ読みたい

参考
苦し紛れの「反日カード」? 台北市長選で「皇民化教育推進の子孫」与党陣営が対立候補に
http://www.sankei.com/world/news/141117/wor1411170040-n1.html

「連勝文氏が「官二代」(高級幹部子弟)と批判されていることへの反論」
河添恵子さんも、台湾では苦労人が喝采浴びる素地があると言ってましたね 

以前から書いてたことが遂に
吉松育美さん騒動7 移民・亡国への道

【国家を哲学する施光恒の一筆両断】
「外国人家政婦」は日本人の倫理観に合うのか?

 みなさんは最近の女子大生が一番欲しいものをご存知ですか?

 小泉純一郎内閣で経済財政担当相などを歴任し、今も政府の複数の役職を務める経済学者、竹中平蔵氏によれば「外国人のメイドさん」らしいのです。キャリア志向の強い女子大生は、自分の代わりに家事をしてくれる外国人の家政婦さんを雇えるよう、国の政策を変えてほしいと願っているということです。昨年7月の対談記事で竹中氏はそう発言していました。

  私は職業柄、女子大生や大学院生と話す機会は多いですが、「メイドさんが欲しい」という声は寡聞にして存じません。竹中氏が教授をなさっている慶應義塾大 は都会っ子が多いので九州とは違うのでしょうか。私も慶應義塾大卒なので同窓生らに確認しましたが、やはりそんな声は聞いたことがないと言います。竹中氏 の周囲にはよほど変わった学生が集まっているのでしょうか。竹中氏はパソナグループ取締役会長も務めておられますから、むしろビジネス上の関心に基づく発言なのかもしれませんね…。

 しかしながら、この件は「竹中氏の奇妙な発言」というだけではすまなくなりつつあります。竹中氏が委員を務める政府の国家戦略特区諮問会議は 5月12日、福岡市など戦略特区に指定された地域に限り、外国人の在留資格を緩め、外国人家政婦の入国を認める方向で検討に入ると発表しました。外国人家 政婦を雇用しやすくすることで日本人女性や共働き世帯が仕事をしやすい環境を作るのが狙いだそうです。実現すれば、福岡市でも家事や育児はフィリピンなど から来たメイドさんに任せ、働こうとする女性が続々と出現するのでしょうか。

 私はこのような政策提言が、安倍晋三首相の諮問機関から発 せられること自体に大きな懸念を抱いています。「自分が社会で働きたいから貧しい外国人女性をつれてきて家事をやらせる」という発想が、果たして日本人の 倫理観に合うでしょうか。「貧しさ」に付け込むのは道義上許されない嫌悪すべき発想だと考えるべきだと思います。

 教育上もよいこととは思えません。家事を外国人に任せる両親のもとに生まれ、外国人家政婦に世話をされた子供が、日本人らしい道徳観を身に付けることができるとは到底思えないからです。

 そもそも外国人家政婦に関する規制緩和は、昨年6月に在日米国商工会議所が 日本政府に提案したものなのです。このようにアベノミクスの「第3の矢」と言われる規制緩和に関わる政策の多くは、日本国民ではなく、外国人投資家の目を もっぱら気にしているように見えてなりません。労働時間規制や解雇規制の緩和もそうです。日本の政策を考える際に、日本人の常識的感覚に合わせるのではな く、外国人投資家の歓心を買うことに重きを置くとすれば「民主主義」の観点からも望ましくないと言えます。

 懸念は他にもあります。福岡市の国家戦略特区構想の提案には「クルーズ船内のカジノ営業の緩和」という項目も含まれています。言い方は悪いですが、「賭場」に群がる外国人を呼び寄せて福岡市民に一体何のメリットがあると言うのでしょうか。理解に苦しみます。

  その一方で、安倍政権は、道徳教育を重視し、小中学校での道徳の教科化を目指しています。これは正しい教育改革だとは思いますが、いくら学校で子供に熱心 に道徳を説いたところで、その裏で大人たちが貧しい外国人をこき使い、ギャンブルなどの背徳に浸っていては社会に道徳観が根付くはずもありません。「経 済」と「教育」は別物ではなく、密接に絡み合っています。安倍首相が「保守」を自認するのであれば、経済政策も日本人の常識に基づいたものを追求すべきで はないでしょうか。
産経ニュース2014.6.5
http://www.sankei.com/economy/news/140605/ecn1406050001-n1.html


在日米国商工会議所(ACCJ)

USJAPANcouncilACCJウィメノミクスキャシー松井


家事代行 外国人受け入れ 年内にも特区 神奈川、大阪で 女性の負担減 普及へ公的補助必要

 家事代行サービスへの外国人労働者の受け入れが国家戦略特区の神奈川県と大阪府で年内にも解禁される。家庭内の家事負担を軽くすることで女性の経済的自立と社会進出を後押しするのが狙い。国は先行事例を検証しながら将来的には全国へ広げたい考えだが、共働き世帯を中心に歓迎の声がある一方、外国人労働者の搾取や人権侵害につながらないか懸念する意見もある。

 外国人労働をめぐっては、国はこれまで家事労働者の在留資格を原則として認めてこなかった。例外だったのが、外交官や外国人富裕層の家庭で働く場合と日本人と結婚するなどして、もともと在留資格を持っている場合だ。

 「女性の活躍推進」を掲げる政府は、2014年初頭から家事代行サービスでの外国人受け入れを打ち出してきた。9月1日には国家戦略特区改正法が施行され、特区内の日本人家庭で外国人家政婦が働くことができるようになった。

 改正法に基づく指針では、外国人の活用はフルタイムの直接雇用に限定。期間は最長3年で日本人と同等以上の報酬を支払う。勤め先での住み込みを禁止し、受け入れ企業が住居を確保するほか、必要な研修を行うことなどを盛り込んでいる。

    §    §  

 家事代行大手の「ベアーズ」(東京)は、年内にもフィリピンで現地法人を立ち上げ、来日前に日本語の研修などを行った上、年明けから家事ヘルパーのスタッフ派遣を計画している。

  同社専務の高橋ゆきさん(46)は、20年前に香港で働いていたとき、フィリピン人家政婦のおかげで仕事と子育てを両立できた経験がある。「日本で共働き 世帯が増える中、家事代行の需要はどんどん伸びている。今後暮らしのインフラになれば、必ず人材が足りなくなる」と指摘する。

 経済産業省が設置した「家事支援サービス推進協議会」が1月に取りまとめた報告書によると、家事代行サービスの既存利用率は3%だった。同省は12年度の市場規模は約980億円だが、今後利用増が見込めるとして将来は6倍の6千億円に成長すると試算する。

 ただ、教育費や渡航費を負担し、給料の水準を保つとなれば、利用価格に転嫁しない限り、事業として成り立たせるのは難しい。高橋さんは「家事代行サービスが普及するためには、(子育て世帯が利用費に充てられる)クーポン券の支給や税控除など国の支援が必要」と訴える。

    §    §  

  1970年代から外国人の家事労働者を受け入れている香港。国際家事労働者連盟アジア地域コーディネーターの葉沛渝(イプピュイユ)さんによると、労働人 口の1割を占める33万人がフィリピンやインドネシアなどからの家事労働者で、8世帯に1世帯が雇っている計算になるという。

 賃金や休 暇が保障されるなどアジアの他国と比べて待遇はいいが、住み込みのため雇い主から暴力を受けたり、仲介業者から法外な手数料を取られたりする被害が後を絶 たないという。葉さんは「家庭という密室の中だけに目が届きにくい。早期発見や防ぐための監視の仕組みが必要だ」と訴える。

 葉さんは、今回の日本の取り組みについて「特区という形で行われるため、労働環境などについての国の責任があいまいになるのでは」と懸念。導入にあたっては、国際労働機関の家事労働者の権利を守る条約を批准すべきだと指摘している。
=2015/10/10付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/feature/life_topics/article/200345

男女共同参画で税金を湯水のように使い
更に外国人家政婦使うのに国が支援しろと
こんなに税金かけて女性の社会進出っていうのは採算合ってんの? つまり
本当にこれ成長戦略として正しいのか?

それで記事書こうと思ったのは
最近こんなネット広告を見たからなんですが

フィリピン人家事代行サービス2

上記記事には出てこないことを書いておきましょう

フィリンピン慰安婦の背後にいたのはフィリピン共産党
フィリピン慰安婦の背後にいるのは 

フィリピン・カルデロンCPP・NPA・ミグランテ
CPP(新人民軍)
NPA(比共産党)

BAYAN連盟 
 ミグランテ(海外労働者人権団体)
 比女性人権団体
 学校教職員人権団体

このミグランテという団体がカルデロン騒動に関わっていたわけですね
なので
とんでもない訴訟リスクがついて回るということ
人権屋が鵜の目鷹の目で騒動起そうとしているのをお忘れなく
人権屋の餌食にはなりたくないですよね。。
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